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十三湊を後にして、権現崎に向かった。権現岬には、南部氏に追われた安東氏の、最後の抵抗の城の柴崎城があるはずだった。5月の空に、あたかも獅子が寝そべっているような、津軽半島から日本海に突き出した岬が見えてくる。

岬からは北側には竜泊ラインが通り、南側には津軽の霊峰岩木山を眺めることができる。突き出た岬は断崖になって海に落ち込んでいる。この権現崎には、除福が漂着したという伝説が伝えられ、岬の最高所には尾崎神社があり、航海の神として除福像が祀られているという。

日本の各所に、徐福伝説があるが、私は徐福やその一党は、当時の秦の始皇帝の手から逃れてきた「難民」と考えている。現在も、北朝鮮の粗末な木造船が漂着することを考えれば、徐福本人かどうかは別にして、個々の船単位で、それらの船が各地に漂着したのは事実だろう。彼らは日本になんらかの文化的な貢献をしながら、同化していったのだろう。

柴崎城は、この岬の北東側にあった。城跡は小泊湾に面した丘陵にあった小さな山城である。十三湊が自然災害で使用できなくなったときに、その代湊として小泊湊が整備され、その際に築かれたという。

福島城が南部氏の奸計によって奪取された際に、安東勢は唐川城に篭城し頑強に抵抗したが、冬の備えもない中、やむなく総勢で城を出て柴崎城に逃れ、12月に海路蝦夷地の江差に渡ったという。

実は私は、この安藤氏の蝦夷地への逃避行が、津軽半島の義経北行伝説のモチーフと考えている。

権現崎を後にし次の目的地の竜飛岬へと車を走らせた。時間はすでに午後2時をまわっており、気持ちが急いていた。これまで気ままな旅ばかりだったのが、遠隔地の青森への旅ではそういう訳にもいかず、私にしては綿密?な予定を立てて、初日には津軽半島の半分を周る予定だった。しかし案の定と云うか、取材途中で得た資料や、地元の方の話や、途中の表示板などで、すでに訪問予定箇所の倍近くを周っていた。そう度々訪れることが出来る地でもなく、一期一会のつもりで周っていた。

それでも幸いなことに、五月の日は高く明るかった。予定では竜飛岬まで訪問箇所はないのだが、国定公園になっている津軽半島西岸の景色はすばらしい。この小泊から竜飛までの国道339号線を、その風光明媚なことから特に竜泊ラインと呼んでいるらしい。途中、青岩や七つ滝の景勝地があり、気持ちが急いているとはいえ、スルーするのはこの地に対して余りに礼を失するような気がして、車を停めカメラに収めた。

さらに走ると、国道339号線は海岸から離れ、山道を登っていく。途中「眺瞰台」の表示板が何度か現れた。どうやら峠に展望台が有るらしい。間もなく展望台のための駐車場が見えた。すぐに車を停めて展望台に駆け上がった。これは気が急いていたためではなかった。山道の途中から、ひときわ明るさを増した竜飛岬が、その美しさを垣間見せてくれていたからだ。

以前訪れた、男鹿半島の八望台に負けず劣らずの絶景がそこには広がっていた。竜飛岬は透き通るような美しさを見せていた。しばらくは夢中でシャッターを切っていた。まさに360度の眺望が遮るものなく眼前に広がっている。はるか彼方にあるのかと思っていた北海道は、手を伸ばせば届きそうな近くに見える。少し泳ぎが達者なものであれば、泳いで渡れると錯覚しそうだ。

しかし厳寒の時期には、この地は雪とともに強風が吹き荒れ、時折、海峡を巨大な白龍が飛ぶのが見られるという。それはもしかするとこの地に追い詰められた者が見た死の白龍かもしれない。またあるいは、その先の蝦夷地に続く希望の白龍だったのかもしれない。

何度か見回し眺望を楽しんでいるうちに、この地の夕日もさぞや美しいだろうと思えた。眺瞰台の眺めは私をさかんに誘惑する。八望台の時のように、この地で自然の中で一夜を過ごしても良いかとも考えた。しかしそれでは青森の地をいつまでも周り終えることはできず、みちのくの歴史と美しさを広く伝えることができなくなるという自制が働いた。

旅は、やはりぼんやりとした目的だけを携え、行き当たりばったりが最も良いとぼやきながら、竜飛岬へあと少しの道を急いだ。

竜飛に到着したときには、午後3時を過ぎていた。青函トンネル記念館を見学し、階段国道339号線、津軽海峡冬景色歌碑と気ぜわしく周った。しかし、幸いなことに五月の光は明るく、6時頃まではなんとか写真を撮ることができるかもしれない。

いよいよ、今回の津軽半島紀行での最遠の地の竜飛岬に立った。その風景は、峠の眺瞰台から眺めた夢のように広がる海とは少し異なり、生々しく広がっていた。岬には灯台が設置されているほかに、日本の防衛の前線基地としてレーダー基地が置かれていた。

手の届くような位置に北海道が広がっている。この岬との間の海は、特定海域であり外国艦船は自由に通過することができ、核兵器を搭載した外国の軍艦や原子力潜水艦も通ることもある軍事上の要衝だ。かつては、この岬には海軍の砲台も置かれており、歴史的に目と鼻の先の海域は、有事の際には最前線となりうる地で、恐らくはこの地のレーダーの情報は24時間誰かが確認しているのだろう。

「ごらんあれが竜飛岬北のはずれと、見知らぬ人が指をさす、息でくもる窓のガラスふいてみたけど、はるかにかすみ 見えるだけ…」津軽海峡冬景色の一節である。まさに北への旅情に溢れた名曲である。しかし、この地は旅情だけではすまない、ピリピリした緊張感も伴っている。

この海峡を挑発的に潜水艦や軍艦を通過させる某国にとって、日本の憲法9条は日本の足かせとして都合の良いものであるだろうし、それらの国が日本の憲法で期待している「信義」に縛られることももちろんない。まして、竜飛岬の日本人の北への旅情など理解できるはずもない。私たちもこの地に立つとき、この地のレーダーの情報を、緊張感を持って注視している方々が居るということを、頭の片隅に入れておく必要があると思った。

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