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昨日は、一日中雨に降られ、洋野町では予定の箇所を回り終えることができなかったが、久方ぶりの伸び伸びとした歴史散策で、気持ちは充実していた。久慈に戻り一夜の宿をとり、この日は例によって日の出前から動き始め、大唐の倉に向った。

大唐の倉は、平家の落人と高僧が逃れてきた地との伝承があるらしい地の岩塊で、海岸に位置しているはずで、その地から三陸の海に上る日の出を撮影しようと思っていた。暗い内にその地に着き、明るくなるのを待っていたが、薄明かりの中で周りの様子を見ると、津波の影響だろう、岩場の下には行くことが出来ないようで、大唐の倉を入れての日の出は撮影できない。南は津波の被害がむき出しの状態の港である。

すぐさま日の出の撮影ポイントを求めて、県道を北へ走った。小袖海岸方向へ進めば、どこか撮影ポイントが見つかるだろうとの考えだ。岬の小さな峠を越えると、遠くに漁港らしい明かりが見える。その先の岬には小島が重なり、日の出のビューポイントになるかもしれないと車を走らせた。

東の空は赤みが増している。あせる気持ちで岬の先端までくると、岬を回りこむ道路はこれも津波被害で通行止めになっている。日の出の方向には津波の被害が広がっている。今回の旅では、津波の被害をことさら取材する気はなかった。震災後も変わらぬ美しさや、変わらず残る伝説を取材することで、これからのみちのくの心の復興に寄与出来ればと考えていた。しかし志は高いものの、常のごとく、その計画はいい加減で行き当たりばったりだった。

大急ぎでもと来た道を戻り始めたが、すでに東の空の光は増し、あと少しで日の出のようだ。やむをえず車を道路わきに停めて、この地で日の出を撮る事にした。

水平線上にはわずかに帯状の雲があり、その上に日は上るようだ。先ほどの岬の小島が見える。道路の下は砂浜で、昨日の荒れた天気の名残か、比較的荒い波が砕ける。砂浜に下りて日の出を待った。雲の端が鋭く光る。日がするすると上っていく。海面に光の柱が立つ。この日、この時間、この地が私に見せてくれる一期一会の光景だ。シャッターを切りながら身内が少し震えた。

大唐の倉から野田村の十符の浦へ出ると、津波は防潮堤を破り、国道を越えて津波の被害が集落にまで及んでいた。十符の浦を見渡せる、かつては小公園だったはずの、倒れた歌碑のある高台から海岸を眺めていた。この地では、津波の威力はすさまじかったようで、海岸沿いの国道沿いでは最も高いこの見晴台を乗り越え押し寄せたようだ。

この地の様子を呆然と眺めていると、地元の方が通りがかり、挨拶をし話を伺った。震災前はこの海岸沿いには松林が続き、絶好の散策路で、毎朝この地を散歩していたという。津波の被害の話など伺ったが、その中で、北リアス線がこの日に開通し、始発が少し前に走ったということを教えていただいた。被災地の様子に気落ちしていた身には朗報だった。

この地を離れ、「西行屋敷跡」を探しながら南下すると、北リアス線の小さな無人駅の「野田玉川駅」を見つけた。この駅で、列車の通過時間を調べると、あと20分ほどでこの地を通るようだ。これを見逃す手はない。すぐに駅の近くに撮影ポイントを探し付近を走りまわると、海岸の谷に掛けられた鉄橋を見つけた。その後ろには三陸の海が広がっている。

残念ながら逆光になるが、贅沢を言っている時間はない。カメラの準備をするとじきに列車の音が聞こえ、白を基調とした三色の二両編成の列車が鉄橋を走り抜ける。駅から発車する列車も撮ろうと、間に合うかどうか、すぐに駅に車を走らせた。

幸いなことに、列車はこの駅で、上り線との時間待ちで停車していた。駅は無人駅でのんびりしたもので、駅のホームに入っても咎められることもない。運転手さんの顔も晴れやかだ。

思えば震災後1年たって、ようやく復興らしい場面に出合ったことになる。この北リアス線は、当然のことながら首都圏の環状線と比較して利用者ははるかに少ないが、この地でははるかに重要な「足」となっている。その後、この日の旅の途中、沿線の各駅ではにぎやかに祝賀行事が行われており、震災の瓦礫の中で、いくばくかの華やかさを見せてくれた。

野田村で北リアス線の開通に出会い、天気も晴れ渡り、気持ちは久しぶりに浮き立っていた。野田の「西行屋敷跡」を訪ね、普代村の義経北行伝説の中心の「鵜鳥神社」を訪れ、その後は北三陸海岸の景勝地の「普代浜」「黒崎」「北山崎」と訪れた。

北三陸のこの地域の海岸線は、断崖絶壁で形成されており、さしもの大津波もその断崖を越えることは出来なかったろう。この1年、各地で津波の甚大な被害を見せつけられてきた。しかし、あの時の人々の暮らしを押し流した大津波が、この地では断崖にぶち当たり跳ね返された様を想像すると、不遜にも何かしら痛快な思いがした。

晴れた空の下の「黒崎」「北山崎」は、観光地として被害は殆ど受けなかったように見えた。恐らくは誰が見ても美しいと感じる海岸美は損なわれてはおらず、この日は多くの観光客が訪れていた。北山崎では、断崖の途中にある展望台までの急な階段を、帰りの登りのつらさを考えもしないで勇んで下りた。観光地の人ごみがあまり好きではない私も、大津波でも失われなかったその美しさを、多くの方々が愛でていることは素直に嬉しかったし、震災後も十分に美しいその絶景を広く伝えたかった。

この地は、私に晴天の中の絶景を用意してくれていた。青空の下にはるかに続く断崖、突き出た岬、そして小島や岩礁、そこに砕ける白い波。それらは三陸海岸の美しさを際立たせていた。しかし旅人とは勝手なもので、その影のない美しすぎる絶景には、若干の物足りなさも感じ、いつか機会があれば、霧の中や雪の中の三陸海岸も見てみたいなどと、慰霊の旅であることを忘れ、気持ちはハイになっていた。

しかし、その後、そんな軽薄な思いは叩き潰されることになる。

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