秋田県湯沢市岩崎の千年公園の地には、かつて小野寺氏の一族の岩崎氏の居城の、岩崎城があった。この岩崎城の三の郭跡には「玉子井戸」があり、能恵姫伝説が今も伝えられている。

岩崎城の北側には皆瀬川が流れ、城の外堀代わりになっていた。しかしこの皆瀬川は、昔から降雨のたびに増水し、周辺に被害を及ぼし、また水路や堰が崩壊した後は水不足となり、村人たちは困り果てていた。そこで、村人たちは談合し、皆瀬川のサカリ淵に住むという竜神に祈願をし祠を建てた。すると霊験著しく増水による被害もなくなった。また城内の井戸は干ばつでも枯れることがなく、雨乞いの儀式で使われ、領民の信仰を集めていた。

この岩崎城主の河内守道高に姫が生まれ、能恵姫と名づけられた。しかし、100日過ぎた頃から昼夜となく泣き続けるようになり、医師の治療も祈願も何の効果もなかった。

夏のある日、乳母が泣く姫を抱いて庭を散歩し、松の大木の下に来たところ、急に姫は泣き止んで、笑みを浮かべ、すやすやと寝入った。
松の根元には、卵の形をした石があり、その石は色といい形といい、その光といい、普通の石ではなかった。城主の道高は大変喜び、その石を姫の「守り石」とした。

やがて姫はすくすくと育ったが、3歳のころ、姫のまわりに小蛇が現れるようになった。あるとき、姫の世話をしていた女中が、その小蛇に「姫の便を始末してくれたら、大きくなったら姫をおまえにやろう」とたわむれに言うと、蛇はその便をきれいに始末し、そのようなことが毎日のように続いた。

能恵姫が16歳のとき、姫は川連城主の道基に嫁ぐことになった。やがて婚礼の日になり、行列が城を出て皆瀬川のサカリ淵にさしかかった。すると、にわかに稲妻がひかり雷鳴がとどろき、川は濁流となって渦巻き、行列の家臣や女中は流され、姫の乗った駕籠も黒雲に包まれて行方知れずとなってしまった。

方々を探しても姫はとうとう見つからなかった。しかし翌年の春、岩崎城の家来がサカリ淵のそばを通ると川底から人の声がする。腰の山刀で藪を払いながら近寄ると、刀を川に落としてしまった。拾おうとすると山刀はすっと逃げていく。それを追いかけているうちに水のない別世界に出た。

そこに大きな岩穴があり、その岩穴を覗いてみるとそこにはなんと能恵姫がいた。姫は、「私は、過去の因縁で竜神に見初められ、この世の者ではなくなってしまいました」と語り、櫛と笄を出して「これを父母と川連の道基殿へ形見として届けてください」と言うなり、竜神のすむ穴奥へ入っていった。

川から上がったこの家臣は、そのことを城主の道高に伝え、姫のこの不思議な運命に家中は皆嘆き悲しんだ。道高は城中に竜神を祀った水神社を建立し、ともに能恵姫も祀った。また、形見の品を届けられた川連城では、姫のために一宇を建立して竜泉寺と号し、姫とそのときの溺死者を弔ったと伝えられる。

岩崎氏はその後も代々、岩崎城を居城としていたが、天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥州仕置によりこの地は最上領となったが、小野寺義道はこれを認めず、最上勢と争い没落し、岩崎城もそのとき落城し岩崎氏も没落した。

しかしその後も能恵姫伝説はこの地に長く伝えられていたが、平成4年(1992)、この井戸を清掃したところ、白くつるつるした光沢ある「玉子石」が発見された。この玉子石は、能恵姫伝説に関わるものとして大きな話題になり、資料館に7日間展示した後、甕に入れ、再び井戸に収められたという。

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