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天正11年(1583)5月、伊達政宗とその若き家臣たちの活躍もあり、伊具郡から相馬氏の勢力を駆逐したが、金山城には未だ残敵が勢力の回復を狙っていた。伊達輝宗は、翌天正12年1月、全軍を金山城攻略に向けた。

この一連の戦いに勝利した伊達氏は、天文の乱以降最大の懸案事項だった伊具郡全域の回復が成った。輝宗は停戦を決め、同年5月、・稙宗隠居領のうち伊具郡を伊達領、宇多郡を相馬領とすることで和平が成立した。ここに至って伊達家は、稙宗の頃の勢力圏11郡余をほぼ回復し、南奥羽全域に多大な影響力を行使する立場となった。