大悲山(だいひさ)の薬師堂のある山の南向いの小山が蛇巻山と呼ばれ、大蛇伝説が伝えられている。この大悲山には、平安時代前期の石仏群があり、「大悲山の石仏」と呼ばれ、薬師堂石仏、阿弥陀堂石仏、観音堂石仏から構成され、日本三大磨崖仏とされ、国の指定史跡となっている。

その昔、南北朝時代のころ、上州に、琵琶の名手で、玉都(たまいち)と言う目の不自由なお坊さんがいた。玉都は、小高の里の大悲山に、眼病に霊験あらたかな薬師様があるということを聞き、小高に向かった。しかし、小高の近くまで来た時に吹雪となり、道もわからず、疲れて歩くことも出来なくなった。幸いなことに通りがかりの里人に助けられ、吹雪が収まってから、玉都がこもる大悲山の薬師堂も、里人総出で、雨露がしのげるようになおしてくれた。

玉都は薬師堂にこもり、目が治るようにと百夜の願をかけ、毎晩琵琶を弾いていた。いよいよ満願という日の夜、近くの沼の主の大蛇が、若侍に化けてあらわれ、玉都の美しい琵琶の音を聴かせてもらった礼にと、沼の主であることを明かし、ひとつの話をした。

それは、蛇巻山を七周り半もするほどに体が大きくなり、沼が狭くなったために、明日から七日七晩大雨を降らせ、三里四方、小高郷一体を大沼にするから三日の内に立ち退けという。そして、そのあかつきには、玉都を小高郷の領主にし、目も見えるようにしてやろうと言うのだ。しかし、他人にこの秘密を話せば命はないとも告げられた。

目も見えるようになり、小高の殿様にもなれるというこの話に、玉都は、これは薬師様のお導きかと、最初は喜んでいたが、しかし七日七晩大雨が降り、小高郷一帯が沼になれば、世話になった多くの里人が難儀し、命を失う者も多く出るだろうと思うと心が痛んだ。

玉都が思い悩んでいると、「もし」と玉都に声をかける者がいた。この話の一部始終を聞いていた薬師堂の観音様だった。観音様は、多くの里人の難儀を話し、里人たちを救うように玉都をさとした。玉都も仏に仕える身でありながら、念願の目が見えるようになり、小高郷の領主になれることに、一時は心を奪われたことを恥じ、自分が犠牲になっても、里人たちのためにできることをしたいと観音様に答えた。

観音様は、「鉄釘」は、大蛇の体を腐らせ、その魔力を失わせることを玉都に伝え、その「鉄釘」をたくさんつくり、大蛇の住む沼の岩に打ち付ければ、必ず大蛇を退治することができると教えた。

玉都は、すぐに小高城に向かい、殿様の相馬光胤に、大蛇との話と観音様の話をくわしく話し、領民の命を救うように懇願した。玉都はお城からの帰り道、小高川にかかる橋のところまでくると、一天にわかに黒雲が沸き上がり、暴風雨となり、玉都を電光が襲い、八つ裂きにされてしまった。

お城の殿様は、玉都の話を聞いてすぐに、家臣や領民を集め、不眠不休で鉄の釘を作らせた。鉄釘を作っている間に、すでにごうごうと風が鳴り大雨が降り始め、稲妻が激しく流れる黒雲の間を走った。

鉄釘ができるとすぐに、殿様は軍勢を率い大悲山に向い、蛇巻山周辺の沼の岩に釘を打ち付けた。その間、風雨は少しおさまったが、稲妻は光り、蛇巻山一帯がふるえ揺れ動いた。鉄釘を全て打ち付け終わると、沼から突如竜巻が沸き上がり、龍になった大蛇が、怒りの形相で現れた。兵たちは恐れ、散り散りに逃げたが、二人の侍が龍の背に飛び乗り、振り落とされそうになりながらも、一人は龍の角と耳を切り落とし、もう一人は龍の首を突き刺した。

すでに鉄釘で弱っていた龍は、これにより雲の間に雷鳴とともに消え去った。その後しばらくして雲が切れ、小高郷に久しぶりの日が差し始めた。

この玉都の命を捨てての進言によって、小高郷と里人達は大洪水の被害から救われた。里人たちは玉都に感謝し、薬師堂の脇に祀った。その後、玉都が命を落とし、琵琶が落ちたところが琵琶橋、大蛇の耳の落ちたところが耳谷(みみがい)、角の落ちたところが角部内(つのぼうち)と呼ばれるようになった。

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