2015/07/27 宮城県仙台市青葉区

 

歴史散策⇒仙台城址

伊達政宗時代の仙台城には、現在見られる三の丸も二の丸もなかった。現在の仙台市博物館がある三の丸跡には、政宗自身の居住館があったようで、そのため何らかの防御的な工夫はされていたとは思う。しかし政宗時代の山城としての仙台城は、現在の三の丸跡から上の、沢郭、中郭、本郭の部分だったと思われる。

この沢郭の入口が清水門で、この清水門の下には、仙台で初めて酒造りがされたといわれており、その酒造りに使った清水が湧いていたことからこの名前が付けられたとされる。石垣は野面積みで、決して派手ではないが、政宗の城に一種の風格を与えている。

政宗は、築城に際しても非常に合理的な考えを持っていたようで、その城の多くは山城である。関東や関西の石垣の城と比較して、観光的な意味での景観は劣るかもしれないが、戦の城としては、地形を重視した山城の方がはるかに合理的だ。

政宗時代の仙台城は、本丸の石垣すらも野面積みであったようで、それは政宗自身が、戦のための仮の城と考えていたからではないかと思っている。政宗はこの仙台城の築城時期には未だ天下への野望を捨ててはおらず、大阪方の動向や、徳川家の内紛をじっとうかがっていただろうと考えられる。しかし、その天下への野望を考えたとき、当時二の丸も三の丸もなかった仙台城は、堅固とはいえ天下の軍勢を相手に出来るほどの城ではないように思える。

政宗にとっては、この仙台城は実は未完の城であり、現在の本丸部分は、政宗にとっては三の丸ではなかったのかと考えている。もちろん真実は闇の中だ。しかし荒々しい戦いの城の様相を見せるこの清水門跡と、その背後に連なる古石垣を見るとその考えは膨らむ一方だ。

この周辺には、酒造屋敷跡や、清水跡、沢郭の古石垣などがあり、観光地化した本丸跡とは違った、城としての息吹を感じることができ、仙台城域の中でも最も好きな場所の内の一つだ。