2011/01/20取材 福島県富岡町

 

歴史散策⇒子安観音堂

前日米沢で仕事を終えて栗子峠を越えて、冬の嵐の山形を「脱出」し福島に入った。明けてこの日は、フリーの日で、終日、福島県の浜通りの歴史散策を行い、仙台に戻る予定だった。

福島から国道114号線、399号線を走り、途中、葛尾村、川内村を通り浜通りに抜ける予定だった。葛尾村には、「大臣屋敷跡」の伝説があり、この日のメインの一つだったが、やはり山里で、山道、わき道は雪に埋もれており、早々に断念し、そのまま楢葉町に向かった。

海岸沿いはさすがに雪はなく、風が少し強いものの晴天で、楢葉町から国道6号線を北上し、リストアップしている散策箇所の取材を始めた。富岡町の富岡漁港の南側に、仏像が流れ着いたという伝説のある「仏浜」があり、海岸に出て写真を撮影した。海岸線は美しい曲線を描き南北に伸びているのだが、いたるところにテトラポットが設置され、南には巨大な発電所が立ち並んでいる、現在の日本のありがちな海岸風景である。

「仏浜」を象徴するような、何らかの祠や堂が無いものかと周りを眺めていると、遠方北側に堂が見え、その先の岬に、気仙沼の巨釜半造の筆岩ような立岩が見える。俄然力がみなぎり、その方向へ車を走らせた。その堂は子安観音堂で、リストには無いものだったが、これも歴史散策の楽しみの一つであり、案内板などで取材し、撮影した。

さて、あの立岩である。仏浜からの様子では、観音堂の少し北側になっているはずだが、観光地として売り出しているものでもないらしく、道らしい道はない。それでもケモノ道の様な道を海岸に向かい降りていくと、テトラポットが山積みされているその先にありましたよ、ありましたよ。

テトラポットで固められた海岸線の中で、そこだけがあたかも異空間のようにデーンとそびえる名もない立岩。訪れるものを拒否もしてはいないが、歓迎もしていない様子で、訪問者の勝手な感動などには一切かまわず、外洋の荒波にだけ向かっている孤高の立岩。このような、誰からも省みられるわけでもなく、取り上げられるわけでもなく、「埋もれた名岩?」がまだ存在しているのだ。

この地の岩石の質や、この立岩の侵食状況などから考えると、いずれ、遠くない将来、この岩は海中に崩れ落ちるのかもしれない。しかしそれでも、冷たい風と荒波を受けて、天に向かって屹立するこの岬の立岩は、この日だけの、この時間だけの、この光の中だけの姿を私に見せてくれた。

※現在は原発事故のため立ち入り禁止区域になっている。あの大地震と大津波で、現在はどのような姿になっているのか定かではない。