2010/11/17取材 秋田県能代市

 

歴史散策⇒きみまち阪

この日は、遅い日の出を待ちかねて、日の出とともに市街地を何ヶ所かまわってから、能代市の東境にある「きみまち阪」に来た。

きみまち阪は、米代川が大きく蛇行し山を削り取った位置にあり、かつては羽州街道の難所だった地だ。その昔は、その難路ゆえに「畜生坂」と呼ばれていたと聞く。

現在の風雅な名称になったのは、明治天皇が東北行幸の際に、この地に至り休憩したとき、この地に天皇を気遣う皇后の心が、手紙にたくされ待っていたと云う。これを読んだ明治天皇が、この地を「きみまち阪」と名付けたと云う。

大宮の うちにありても あつき日を いかなる山か 君はこゆらむ

考えてみると、どのような場所や場合でも、陽と陰の二つの側面を持っているように思う。例えば山登りのつらい思いは、登ったあとの爽快さが打ち消してくれる。旅の難所は、私達に時折一期一会の絶景を見せてくれる。この地の「畜生坂」と「きみまち阪」は、両方ともに人の感じる真実なのだろう。

それでも、この「きみまち阪」は、その後、歴史の上で「現人神」と崇められていく明治天皇の姿ではなく、皇后の心を思い、この地の美しさを愛でる、人としての上品さを感じさせる逸話ではある。

この時期、紅葉の盛りはすでに過ぎてはいたが、きみまち阪に続く遊歩道の北側に連なる屏風岩付近は、それでも綾錦に彩られ、厳しい冬の訪れの前の残りわずかな時間を輝かせていた。