2010/10/20取材 福島県伊達市

 

歴史散策⇒旧亀岡邸

この日は、福島での仕事の前に、あまり訪れてはいなかった、伊達市を少し歩いて見ようと思い立ち、下調べもあまりしないまま、早くに仙台を発った。

最初に、阿武隈川の景勝の地の猿跳岩を訪れ、早朝の景観をゆっくりと楽しんだ。その後は、福島市へ向けて車をのんびりと走らせた。特段の下調べもしていないため、行き当たりばったりの道中だったが、途中、史跡看板を見つけては車を停めながら、それでもいくつか面白いものを取材できた。

旧保原町に入り車を走らせていると、「旧亀岡邸」の看板が目に入った。仕事にはまだまだ時間の余裕があったので、当然のようにそちらへ車を向けた。そこは、この地区の中心的な公園として整備されているらしく、「旧亀岡邸」は、その公園の中心的な施設として、修理復元された明治建築だった。

かつては蚕取引の中心地として栄えた地である。いつも思うことだが、明治から昭和の初めあたりにかけては、地方にはそれなりの力があり、それなりの経済圏を形成し、その経済活動や文化活動は、現代よりもはるかに活発だった様子が伺える。この建物も、そのようなこの地方の「良き時代」を象徴するものなのだろう。

この地方の豪農の住居ということだが、当時の郡役所などの公的な洋風建築と比べてもひけをとらない規模と風格を持った建物だ。

私は、経済学者でもないので、当時の地方の経済が、現代のそれと比較してどうなのかはわからない。しかし各地にいまだ残る豪農屋敷や地主の屋敷、そしてそれらの方々が中心になって形成していた地方の文化や産業の様子を表す古写真などを見ると、現代と比べて、はるかに充実している様子が伺える。

一体、地方の活力はどこに行ってしまったのか。恐らくは、グローバル化の流れの中で失われていったのだろう。各地に残る、この亀岡邸のような、地方の繁栄の「史跡」が、史跡としてではなく、地方の復活のシンボルとなる日が来るのだろうかと漠然と考えた。