2010/05/14取材 山形県舟形町

 

歴史散策⇒戊辰舟形口古戦場跡

戊辰戦争の戦跡の中でも、この新庄藩の舟形口古戦場は訪ねたい場所の内の一つだった。

この地は、仕事の関係で良く通り、その度に気にかけていた場所だったが、生来のずぼらな性格から、下調べもすることもなく、「なんとなくこの辺りで、その内見つけられるだろう」と、結局見つけられないでいた。今回は、この地域を重点地域とし、一応の下調べをして、朝一番に訪れた。

新庄藩は、当初は奥羽越列藩同盟側にあり、仙台藩らとともに新政府軍側の秋田久保田藩と雄勝峠などで対峙していたが、新庄藩主の正室が薩摩藩出身だったことなどもあってか、途中脱盟し新政府軍に与した。これにより仙台藩の部隊は前後に敵を受けて壊滅した。

これにより、福島県の白河口に向かっていた庄内藩の部隊が急遽引き返して新庄藩と長州藩が固めるこの地を攻撃した。復讐に燃える庄内藩は、同盟軍の中では装備も比較的新式で士気も高かった。新庄藩と長州藩は、小高い丘に陣を敷いていたが、庄内藩の一隊が背後に回り込みこれを襲い混乱しているところを、庄内藩の正面からの総攻撃を受けて潰走した。

国道13号線からはずれたかつての羽州街道のこの地は、今は地元の生活道路として機能しているだけで、早朝にこの地を通る車もほとんど無い。旧羽州街道に立ち、新庄藩が陣を敷いた山ノ神の丘を眺め、庄内藩が回り込み攻め下った欅坂を眺めると、兵士達の雄たけびが聞こえてくるようでもあった。