2007/04/24取材 秋田県鹿角市

 

歴史散策⇒白根金山跡

白根金山に向かった。場所は、一応地図上で大まかには見当を付けていた。有名な金山だから、地元で聞けばわかるだろうとたかを括っていた。

ところが、地元の国道沿いの観光マップにも出ていない。見当を付けていた場所の近所で聞いても、白根金山なんか聞いたことがないという。鹿角から国道108号線を西へ東へ尋ねながら何度か往復した。「白根金山」は誰も知らなかった。

ただ現在は廃坑になった「小真木鉱山」の名が出てきた。とにかくここを訪れることにした。さほど山奥ではない場所に、水処理の施設らしいのが稼動しており、プレハブの小さい事務所がある。私の愛車ロシナンテでは、それ以上先は無理なようだった。標柱も説明板もない。

この事務所には、幸いに若い職員の方がいて尋ねたが、やはり知らないという。ただ、奥に古い坑道跡はあるという。許可をいただいて、徒歩で奥に進んでいった。「小真木鉱山」の古い設備が廃墟としてあった。とにかく首をひねりながらカメラに収めた。

そんなところに、先ほどの職員の方が、大きな4WDの車で上ってきて、ありがたいことに案内していただけるという。さらに、「小真木鉱山」の奥まった場所が、確か「白根」という地名だったかもしれないという。これで決定だ。その場所に案内してもらった。

山道の先にちょっとした広場があり、そこに廃屋が一棟あった。坑口らしいものはどこかわからない。この職員の方もわからないという。それでもここが、「白根金山」の跡に間違いはないだろう。

かつて北信愛の跡を継いだ、北十左衛門信景が発見し、伝説を残し、南部重臣として栄華を極めたが、その後暗転し大阪城に出奔し、大阪方として大阪の陣を戦い捕らえられ、残酷に処刑された。この金山跡のたたずまいはその栄枯の歴史そのままに思える。

この職員の方に感謝し山を下りた。日は暮れ始めている。この日のうちに次の青森大鰐の石川城の撮影は無理だろう。当初の予定にはなかったが、小坂に向かうことにしてこの日の取材を終えることにした。

後日、鹿角市役所文化財課に問い合わせたところ、この尋ねた地が、やはり白根金山の跡であったことが確認できた。