2006/06/09取材 岩手県北上市

 

歴史散策⇒岩崎城跡

国道4号線を北上し、和賀川を渡る手前を西に入ると夏油川が流れている。その夏油川の西側の山が岩崎城の城山にあたる。

岩崎城は、伊達の後ろ盾を得て、関ヶ原の戦いの際に、兵を挙げた和賀忠親が花巻城を攻め敗れ篭った城だ。そして、この夏油川のあたりが、伊達藩の白石宗直が和賀勢に救援の兵を出し、南部勢と激しく戦った地のはずだ。

関ヶ原の戦いが、たった一日で終わり、和賀忠親が花巻城を攻め切れずこの城に退いたとき、忠親は必然的に伊達から捨て駒にされる運命だった。この情勢の中で、白石宗直が岩崎城救援に向かったことは、伊達の勢力が公然と南部領を侵犯することであり、その後の伊達を危うくすることだった。にも関わらず宗直はそれを行った。

もちろん白石宗直はそれをわかっていたはずだ。それをあえて行ったということは、忠親と宗直の間には、歴史には刻まれてはいない強い友情があったものと思える。

またこのとき、北信愛の守る花巻城に南部方として入った柏山明助は忠親の義兄弟だったが、圧倒的に不利な花巻城に入ったのは、矢張り歴史には刻まれていない、北信愛とのつながりがあるのだろう。

忠親にとっては花巻からの一連の戦いが恐らく初陣だったと思われる。老練な勇将の北信愛が守る花巻城をあと一歩まで追い詰めながら、関ヶ原の戦いが決着したことで退かざるをえなかった。忠親ら和賀党はこの城に篭り、伊達からも見放され孤軍となったが、南部の精鋭を相手に良く戦った。最後は、風の強い日、南部方の火攻めにあい落城したと云う。

この日は、時折強い風が吹いた。風音は木々のざわめきとともに戦いの雄叫びにも聞こえた。