2007/01/31取材 宮城県大衡村

 

歴史散策⇒大衡城址

大衡城は前にも一度訪れ、大変に印象に残る城だった。今回は改めて詳細に写真を撮るために訪れた。この城は本丸部の地形がかなり良い形で残っており、また他の中世の山城のように、木々が生い茂り、草は伸び放題といった状態ではなく、裸山に近い状態で木々はまばらでよく手入れされており、中世の山城の姿を彷彿とさせる。

頂上には模擬天守風の公民館?がある。模擬天守は個人的には好みではないが、この城跡への地元の方々の思い入れによるものなのだろう。この城は中世の黒川氏一族の大衡氏の居館であったもので、旧街道を睨む位置にある。当然この時代に天守閣などあるはずもなく、復元された八戸根城のような、平屋茅葺の主殿と掘立小屋が数棟あったのだろうと思われる。それでも模擬天守はともかくとして、この城山の荒々しい山容はなかなかのものである。

西側の急斜面を回りこみ、南の大手口から上り始めた。大手口からの坂道の右手(東側)には幾段かの平場がある。これは家臣の屋敷でもあったのだろう。正面には高々と威圧するように本丸の高台が見える。南側は緩斜面だが、本丸部はそそり立つような急崖になっている。また面白いのが本丸部から突出している小さい物見台のような高台があるが、これが中々威圧感がある。

この物見台?には本丸部から土橋状につながっているが非常に狭く、どのような役割をもっていたのか興味深い。本丸部に上がると模擬天守はやや興ざめではあるが、もしここに多少の時代考証をした茅葺の主殿などがあったら、この地の歴史とともに大きくアピールできると思え、いささか残念ではある。