2009/09/12取材

 

歴史散策⇒大森城跡

石巻葛西氏と桃生郡の覇権をかけて争った、山内首藤氏の本拠城の大森城を訪問した。とりあえずは石巻の大森の地名を地図で探し車を走らせた。河北町に入ると、はるか川向こうに、それらしい小高い山が見えてきた。

最近は、その地形からなんとなく城山かどうかがわかるようになってきた。城山と思われる山の端を回りこみ枝道に入るとありましたよ標柱が、「大森城」。ありがたいことに説明板に城の略図もある。

東からの上り口はそれなりに山道のようにはなっているが、尾根に入ってからはほとんどは道なき道。山林の木々とからまる下草を縫うようにしての行軍。

山の尾根は東西に伸び、南北、西側は急斜面で、本丸を真ん中にして、西側に二の丸、東側に東の丸、三の丸、北側に北の丸と二俣神社の平場が配置されていたようだ。尾根上に並ぶ郭は、それぞれ空堀で区切られ、特に本丸部の東西北の三方を囲むように配された空掘はなかなか見事なものだ。

しかし、中世の城跡の多くがそうであるように、残念なことに全くの未整備で、山林と下草でその様子を十分に見ることはできなかったが、さすがに桃生に威を張った山内首藤氏の本拠城だ。山全体を城域とした雄大な城で、その郭の配置も妙を得ているように思われた。

現状は山林だが、すでに山林としても放置されている様子があり余程の物好きでもなければ立ち入ることはないような状況になっている。遊歩道的な整備がなされ、遺構がしっかりと保存されることを望むものではあるが、なによりもこの地で石巻葛西氏と対峙し覇を競った山内首藤氏の本拠の地が、山林としても荒れてしまっていることが悲しかった。