2009/05/11取材

沖の石

 

歴史散策⇒沖の石

沖の石は、多賀城の住宅地の中に、ぽっかりと異次元空間の如くにある。かつて、若い時分にここを訪れた折には、もちろんこの地が歌枕の地であることはわかってはいたが、実際に見るそのみすぼらしさには、驚き、あきれたものだった。

決して美しくはない「池」のなかに、奇岩が横たわり箱庭のような風情はあるものの、さびの浮き出た柵に囲まれたそのたたずまいは、昨今のテーマパークのような観光地を思えば、「みすぼらしい」以外のなにものでもないだろう。しかし、実はそう感じる自分が「みすぼらしい」ものだと思うようになったのは比較的最近のことだ。

わが袖は しほひに見えぬ おきの石の 人こそしらね かわくまぞなき

古の歌人は、この沖の石のたたずまいを聞き、涙に乾く間もない袖と重ね合わせ、沖の石を媒介にしてその奥の自ずからの心を見ている。

テーマパークのような「観光地」に慣れてしまった私たちは、時にその想像力を欠いてしまっていることがある。サビの浮き出た柵の中にある沖の石に、はるか昔の潮騒の音を聞くことができなくなってしまっている。これは恐らくは、人間の退歩の始まりなのかと思ったりしてしまった。