2010/06/16取材

 

歴史散策⇒種山ヶ原

種山ヶ原は最高所を物見山とし、なだらかに広がる標高600mから800mの高原である。

この日は、早朝の暗いうちに気仙沼を出発し岩手県に入った。国道397号線の朝もやの中に浮かぶように道の駅があり、そこで途中のコンビニで買ったおにぎりの朝食をとり、物見山目指して種山ヶ原に入った。

登り道とはいえ、これまでの山道とはずいぶんと勝手が違う。断崖絶壁もなければうっそうとした林もない。周囲は県営種山牧野で、ひたすらなだらかな草原が広がっている。早朝は、霧雨模様だったが、すでに時折青空ものぞくようになっていた。

この地は、たびたび宮沢賢治が訪れた地で、「風の又三郎」など、この地を人間世界と異界との境として扱っている。この地は古くは蝦夷の伝説の美少年の人首丸が、砦を築き篭り、坂上田村麻呂の軍と戦ったと伝えられる地だ。

どこまでもなだらかに広々と続く草原を走り、中心の物見山の登り口に来た。物見山は、標高871mで、江刺市、住田町、遠野市にまたがる、南北20km、東西11kmの種山ヶ原の中心にある。その山名から考えるに、人首丸の伝説の中心地なのかもしれない。

車を停めて山に登り始める。広々とした草原の中に、この地だけは大岩石が折り重なり、頂上に続いている。草原を渡る風が、下からこの物見山に淡い雲を運んでいる。すでに朝の霧雨は晴れて、時折青空も顔をのぞかせている。

頂上に登れば、360度の展望が開け、草原が広がり、その先には重畳と山並みが広がっている。時折、風が淡いミルク色の雲を運び、どこまでもやさしい風景が広がる。

この地で戦い敗れた人首丸の魂は、このやさしいミルク色の風に吹かれ、その恨みや怒りを仏の手にゆだね、この山頂から天上に運ばれたのかもしれない。

宮沢賢治は、この地で異界を感じ、又三郎の声を聞いたと云う。私にはその声は聞こえなかったが、もしかすると、人首丸が又三郎に姿を変えて、時折異界からこの地に現れるのかもしれないと思った。