2010/01/19取材

 

歴史散策⇒浄土ヶ浜

今回の取材のメインは、戊辰戦争の際の宮古湾海戦だった。海戦そのものは、宮古湾内で行われたが、この三陸海岸随一とも思われる景勝の地の浄土ヶ浜をスルーするわけにはいかない。

このタイミングで、浄土ヶ浜の日の出を撮影しないということはありえないことで、日の出前の早朝に宿を出て浄土ヶ浜に向かった。浄土ヶ浜は、この地の観光の中心地であり、迷うはずもなく、暗い中、浜の入り口に着いた。

この時期のこの時間帯は、浄土ヶ浜への車の乗り入れはできないようで、上の駐車場でしばらく時間待ちをして、少し明るくなったのを見定め、防寒服を着込み、三脚、カメラを担いで浜に下りていった。

浜につくと、わずかな明るさだが、外海と入り江を隔てる位置に立ち並ぶ岩が、背後の薄明かりに美しいシルエットを見せている。一通り浜辺の端から端まで歩き、日の出の位置と入り江と立ち並ぶ岩の位置からおおまかな構図を決めて三脚をすえた。

素手で三脚をセットするわずかな時間、アルミの三脚の冷たさが素手を痛くする。三脚にカメラを据えて、こごえた手をポケットに入れて日の出を待った。車が近くにあれば中で暖をとることも出来るのだが、車は駐車場で、足ふみをしながら待つも、さすがに真冬の日の出前は凍える。

東の空の赤みが増してきた。1枚目のシャッターを切った。林立する岩のシルエットと、日の出前の赤みを増す空と、その空の色を映す入り江は、この世のものとは思えない、浄土ヶ浜とはよく名づけたものだ。この朝に、この浄土ヶ浜の日の出を見ているのは、世界中で自分だけなのだ。三脚ごとカメラを移動し、気の済むまで撮影する、まさに至福の時間だ。

かつて、函館を出港した榎本艦隊の外輪船の「回天」は、真夜中、この沖を通って、新政府軍の艦隊が停泊する宮古湾に突入し奇襲攻撃をかけた。果敢に政府軍の鋼鉄艦に接舷し戦ったがかなわず、集中砲火を浴び、朝日を背に受けながらこの沖を敗走した。

最後に、果敢に戦った榎本艦隊の「回天」に思いをいたし、敗走しただろうこの浄土ヶ浜の先に広がる海にカメラを向けて撮影した。撮影中は忘れていた寒さが急激に体を震わせ、カメラを三脚につけたまま、帰りの駐車場までの登り道を走った。