2009/02/17

 

歴史散策⇒盛岡城址

盛岡市の街中に、高石垣がそびえる盛岡城の姿は圧倒的である。街中の平城は、商店街に、住宅地にと変貌してしまったところが多い中で、かつての姿をよく残すその姿に感銘を覚える。この町の人々の、盛岡城に対する思いが深いことはもちろんだろうが、そびえる高石垣が、物理的にもこの地の市街地による侵食から城跡を守ったのだろう。

盛岡城はこれまで数度訪れている。写真もそれなりに撮っていた。しかし、この時の訪問はこれまでと少し目的が違っていた。小説「蟠龍雲に沖いる」の中で、この名城を落とさなければならない。この城の弱点を探すことが目的だった。

北側の大手口から入り、桜山神社から三の丸、二の丸、本丸跡へと進み、さらに下り、周囲からその高石垣を仰ぐ。各所の虎口、枡形など、当時の築城の技巧が随所に見られ、難攻不落の名城に思える。

しかし、このときのポイントは、城の外回りだった。この城は、小説の舞台になる江戸時代初期、元和年間には、すぐ西側を北上川が流れており、東側を中津川が流れ、その両河川が城のすぐ南側で合流していたと云う。北西の今に残る船入堀は、当時の北上川の名残らしい。そして、三の丸の石垣は、当時はまだなかったらしい。それらを頭に思い描きながら、この城を攻略すべく、二度ほど城の外回りをまわった。

これまで、東北の多くの山城を見てきて、改めて「攻略」することを前提にこの城を見ると、どこか戦の城としてはやや物足りなさがある。巨大な石を積み上げたこの城の主要な目的は、南部氏の威厳を示し、治世を行うことであったようにも見える。

しかし、小説の中とはいえ、この城を落としたら、盛岡のかたがたに文句を言われるだろうななどと思いながら、この城をあとにした。