2009/10/29
歴史散策⇒中山城跡
上山市のはずれにある中山城は、かつては、山形の最上氏と、米沢の伊達氏の抗争の地にある。叔父と甥にあたる最上義光と伊達政宗が戦った地で、義光の妹であり、また政宗の母でもある義姫が、その戦いを止めさせるために、輿で戦場に割って入り居座ったと伝えられる地の城である。その後も、出羽合戦で、最上義光と直江兼続率いる上杉勢が戦った地でもある。
この日は、仕事で米沢から山形に抜ける途中の訪城で、気持ちとしては中途半端な状態でのものだった。出城の前森山を過ぎると、国道の改修工事が行われており、この工事現場に車は置かせていただき、城山にかかった。
幸いなことに、城域の多くは、この改修工事の範囲外であるようだった。工事現場から急坂を少し登ると平場があり、そこは根小屋があった場所で、近年まで小学校分校が置かれていたと云う。城山への上り口に説明版があったが、この平場は腰の高さまで下草に覆われ、上り口も判然とはしておらず、その先の山道を考えると、モチベーションは急激に下がってしまった。
それでも気持ちを鼓舞し、半ば藪こぎ状態で、獣道のような山道を登り始めた。急斜面を折れ曲がりながら続く道はそれでもかなり急だ。あえぎながら登り、何度かの小休止の後に郭跡らしい平場に出た。しかし山は手入れが行き届かないようで荒れており、藪に覆われて遺構らしいものはうかがえない。
さらに登ると、大きな平場があり、地形から虎口の様子もあったが、やはり倒木や藪で地形の確認もままならず、眺望もはなはだ悪い。すでに気持ちはほとんど萎えていた。それでも、あと一段登れば主郭跡になるはずで、義務感にも似た思いで最後の急斜面を登った。
そこは、周囲にわずかに土塁状の高みが見られる平場で、一面に羊歯が密生していた。土塁の様子くらいは写真に収めようと奥に進んでいくと、木々に遮られていた古色蒼然とした石積みが、古木に抱え込まれるようにして忽然と眼前に現れた。
しばし呆然とその石積みを眺め、そして触れた。ほとんど人が訪れることもない、言わば見捨てられたような荒れた杉山の中にその石積みは孤独な姿を現している。この城山の荒れた様子から思えば、それは夢幻の様にも思え、手で触れずにはおられなかった。
平場の周囲をめぐり、石積みの周りをまわり、そしてその最頂部の石積みの上にも上がった。かつては、この石積みの上には、物見櫓などが建っていたのだろう。現在は、うっそうと茂る木々にさえぎられ、周りを見渡すことは出来ない。しかし、古い石積みに触れた手をかざせば、はるかに伸びる街道を眼下に見渡すことができるように思えた。