その年の十二月の降誕祭に,寿庵は福原にガルバリヨ神父を呼びよせていた。切支丹への迫害が強まる中で,このようなことが行えるのも最後かもしれなかった。

先年、ソテロとともに江戸で捕縛された者の殆どは火炙りにされ殉教した。大阪では豊臣秀頼や淀の方が切支丹を保護していたが、その豊臣も滅び、一昨年に上方では切支丹狩りが行われ、津軽に流刑されていた。その他、徳川の意向をおもんばかり、それぞれの藩が切支丹狩りを行い、多くの殉教者が出ていた。

それでも徳川は、切支丹の国々との貿易のことがあり、貿易を継続するかどうかの結論が出ていないこともあり、若干の目こぼしがされているだけのようだった。いづれ近いうちこのことに結論が出れば、全国的な切支丹弾圧が起こるのは必至の状況だった。

寿庵は,この降誕祭を、これから一層の困難を背負わなければならないだろう切支丹たちの心に残るものとして,盛大に行うつもりだった。

 

寿庵は降誕祭に柏山明助を招いていた。十二月二十二日の夕方,明助は雪の降る中わずかな供まわりで福原の地を訪れた。天主堂で祈りを捧げた後,ガルバリヨ神父と寿庵と明助は寿庵の館の奥まった一室で歓談していた。

寿庵はこの日に明助を招くに当たってその文(ふみ)の中で,「厳しい話をしなければならないこともあり」と書き送っていた。半刻ほどの歓談の後に,それぞれの思いの中で話が途切れた。その重苦しさを飲み込むように,寿庵はグラスのワインを飲み干した。

寿庵が切り出した。

「実はのう,先日,寺池城の白石宗直殿がお出でになってのう」

座に緊張が走った。明助は暖のための火鉢の炭の灰をはらった。

「宗直殿が言うには,伊達は徳川殿と手切れになるやも知れぬと言うのじゃ」

明助にも切支丹の置かれている状況はもちろんわかっていた。また,この福原の地の,そして自分の岩崎の地の「神の王国」は,南部のそして伊達の「目こぼし」の上に成り立っている非常に危ういものであることも承知していた。

現実にこの「神の王国」を確立するためには,伊達の力を頼るしかないのかもしれなかった。明助の属する南部には,徳川に対抗する力はなかった。

 

明助が直接仕える花巻城の南部政直(なんぶまさなお)は,明助の感化もあり切支丹に密かに帰依していた。盛岡の南部利直(なんぶとしなお)の次男でありながら,庶腹であったために嫡子は三男の重直(しげなお)に定められていた。

家中にはそのことに対する不満もあった。盛岡と花巻はなにかとギクシャクしていた。切支丹への迫害が日増しに強くなっていく中,徳川へはひたすら忠節の姿勢を示す以外に南部が生き延びる術はないことは確かだった。政直の切支丹への帰依は,政直自身の立場を危うくするものであることも確かだった。

明助は若い主人が自分の感化を受けたということもあり,そのことに心を痛めていた。寿庵の話が終えた後,重苦しい沈黙が座を支配していた。

明助は立ち上がると,この部屋の一角においてあるマリア像の前に跪き祈りを捧げた。席に戻り,寿庵とガルバリヨ神父に静かに言った。

「神の御心のままに」

三人は期せずして十字を切り祈りを捧げた。

 

翌二十三日に,登米の寺池城から急使がきた。それによると伊達政宗公の息女の五郎八(いろは)姫がお忍びで福原にお出でになるということだった。

五郎八姫は松平忠輝(まつだいらただてる)に輿入れしたが,その後の忠輝の改易により仙台に戻されていた。マリアという洗礼名を持つ敬虔な切支丹で,なにかと領内の切支丹のために心を尽くしていた。

このときも寺池城に逗留しながら,近辺の切支丹たちの世話をしている中で,福原の降誕祭のことを耳にして来ることになったらしい。

ガルバリヨ神父と寿庵は,求めに応じ幾度か会っていた。知識欲ははなはだ旺盛で,切支丹の教えのみならず,医学,薬学,そして海外の政治情勢まで尋ねられて,一度訪れると,求めに応じ四,五日の逗留になることは常であった。

また乗馬を良くし,小太刀の腕はなかなかのものと言うことだった。政宗公もいささか手を焼きながらも,この姫をことのほか愛しんでおられた。

 

二十四日の昼近く,昨夜まで降っていた雪は止んでいた。姫の到着を知らせる先触れがあり,寿庵が迎えに出ると,既に多くの人々が福原小路に出ていた。

お忍びと言うことで,家中のもの以外には知らせてはいなかったのだが,どこから伝え聞いたか多くの者達が出迎えに出ていた。雲が切れて温かい日差しが差し始めていた。

「姫様じゃ,おまあ様じゃ」

遠くで叫ぶ声がした。

しばらくして福原小路に騎馬の一団が入ってきた。

「おまあ様じゃ」「おまあ様じゃ」

福原小路の東端から次々と声が沸きあがった。五郎八姫は白馬に乗り,蓑(みの)で体を被い笠をつけていた。小路の手前で,姫は蓑を脱ぎ笠を外した。厚手の袴をつけ,緋色のマントを羽織り,長い髪を無造作に後に束ねていた。福原の人々の間にどよめきがおきた。

五郎八姫は人々に軽く会釈をしながら静かに歩を進めた。人々は次々と雪の沿道に跪き祈りを捧げ始めた。それは波のように広がり,福原の地を包んだ。

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