2013/10/07

 

歴史散策⇒八太郎沼跡

今回の放浪は、八戸周辺を意図して、仕事の最終地を気仙沼とし、夜に八戸に向かった。

八戸周辺は、以前に八戸根城ほか数ヶ所を周っただけで、まだ手付かずの状態だった。八戸は、義経北行伝説や三湖伝説の八郎太郎生地伝説を持っているのだが、いかにも地味であまり知られてもいないようだ。

この日も朝早くから八戸市内をちまちまと周ったが、一つ一つは面白いのだが、「これだ!」と突き刺さって来るようなものはなく、新産業都市の指定いらい、工業都市として発展し、美しくなった街並みだけが目についた。

夕方になり、市街地はほぼ周り終え、八戸の北側の、義経伝説を持つ「ほたるヶ埼」を訪れた。一体は公園となっており、その伝承を裏付けるような遺構もあるわけでもなく、ただのんびりと、夕食には何を食べようかなどと考えながら公園内を歩いた。公園内でふと見つけた案内板を読むと、この公園の山は「八太郎山」ということを知った。

八太郎とは、三湖伝説の八郎太郎のことで、ということは、八郎太郎伝説があるに違いないと思い、探しあぐねあきらめていた「八太郎沼」への思いがモクモクと湧き上がって来た。幸いなことにこの地は高台で、八太郎沼がこの地の近くであれば、見えるかもしれないと考え、日が沈み始めている中、見晴らしの良い場所を求めて公園内を駆けまわった。

しかしやはり探せない。この地から東の方には工業地帯が広がり、その先には海が広がっていた。そこにたまたま犬を連れたおじいさんが来たので、ダメモトで八太郎沼のことを聞いてみた。するとなんと、今見ていた眺めのところがその沼だったという。

このおじいさんが子供のころは、八太郎沼をはじめとした大小の湖沼が海まで続いており、このほたるヶ崎からの光景は八戸八景の一つとして大変美しかったという。また八太郎伝説のことも良く知っており、その沼には大蛇が住んでいるとよく脅かされていたと云う。

八太郎沼は、八郎潟の主になった八郎太郎の「出生の秘密」に関わる伝説を持っている。しかしその沼は工業地を造成するために埋め立てられていたのだ。いくら探しても分からないはずだ。またこの地は新しく市街地化した地なのだろう、地元の人に聞いてもその伝説の地を知るものはいなかった。

伝説の沼が埋め立てられる、それは仕方がないことなのだろう。しかしはるか昔から伝えられ続けて来た伝説までも埋め立てられて言い訳はない、そのようなことを考えながら、夕暮れの八太郎沼跡の工業地帯を写真に収めた。