翌日,宗利は奥州街道をはさみ城山に向かい合う小高い丘を本陣にして,日詰(ひづめ)の集落から奥州街道沿いに,城の西方と南方を固めた。
昨日夕方,城に逃げ込む兵を追って大手口まで迫ったが,そこまでで兵を止めた。およそニ百の兵が逃げ込んだが,他の兵は捕らえられるか,もしくは逃げ去っていた。
この城に,戦う気力と兵力が残っているとは思えなかった。大きい城であった。かつて斯波氏が奥州管領としてこの地に権勢をはった拠点の城である。
しかし朝の光でこの城を改めて見渡すと,城門も櫓も平場にあるべき館もなかった。あるのはいくつかのみすぼらしい建物と,要所々に柵が設けてあるだけだった。盛岡の城普請で,使える木材は全て持ち去られたものらしい。
城中に,降伏を促す矢文を何度か打たせたが,返答はなかった。柵を打ち壊し,城攻めにかかった。大手口に矢盾を並べながら兵を進める。
ひとしきり矢玉が降り注ぎ,鉄砲の音も時折したがさほどのことではなかった。さらに突き進み若殿御殿(わかとのごてん)の曲輪(くるわ)まで攻めあがった。さらに攻めあがって姫御殿(ひめごてん)を抜けると広大な平場に抜けた。
矢盾で矢を防ぎながら鉄砲隊が続々と攻めあがってきた。この大きな平場に矢盾を並べ陣を整えた。本丸を中心に,らせん状に広大な曲輪を持つこの城は本丸をのぞいて伊達の軍勢で埋められた。
宗利は大音声で城方に呼びかけた。
「この戦はすでに決した。これ以上はまったくの無益な殺生になる。伊達方に降るもよし,いずこなりとも逃げるもよし。出てまいられよ」
返答はなかった。宗利は槍隊と鉄砲隊を率いて,矢盾を並べながら慎重に本丸の正面に取り付いた。もはや抵抗はなかった。
ばらばらと四百ほどの鉄砲隊と槍隊が南から本丸の平場にのぼりすぐに矢盾を並べ陣を構えた。宗利は本丸にのぼった。広々とした平場の北方に粗末な長屋造りの建物が三棟ほどあり,その前にニ百ほどの南部の軍兵がいた。
宗利は
「もう良かろう,降られよ」
と再度呼びかけた。しばしの沈黙があった。南部の兵は身を隠そうともしていない。突然悲鳴にも近い声が響いた。
「かかれー」
南部の兵は一斉に打ちかかってきた。
宗利の鉄砲隊が火を噴いた。かろうじてその火を逃れた何人かが切りかかってきた。宗利は一突きで突き倒した。
「何故か」
宗利は思った。宗利に突きかかってきた兵の目は,闘争心や憤怒の目ではなかった。狂気と恐怖の目であった。宗利はこのような目で死にたくはないと思った。
硝煙の中に静寂が訪れた。槍を下げて,本丸の平場を奥へと進んだ。長屋の中に,三十人ほどの女や子供,年寄りが一かたまりになり怒りの目で宗利を睨んでいた。その視線が宗利には痛かった。
「あの者たちはこの者たちを守ろうとしたのか」
と思った。
「逃げればよいものを」
とも思った。
中に流れ弾に当たったらしい老婆がいた。宗利は膝をつき,傷の様子を見ようとすると目をこちらに向けた。その目に狂気はなかった。すさまじい怒りの目だった。宗利は一瞬ひるんだ。
その老婆は喉をやられたらしく,ヒューヒューと木枯らしが吹くような声で
「お前ら伊達衆は,葛西(かさい)の者をなで斬りにしたじゃろうが」
と叫んで,宗利につばを吐きかけた。つばは力なく宗利の手にかかった。老婆の血で真っ赤だった。