2013/10/04

 

歴史散策⇒片洞門観世音

小国から国道113号線を長井に戻る途中、黒沢峠の石畳道をカメラに収め、片洞門に向かった。それは113号線を少し外れた旧道の難所だ。

思えば人間とは不思議なものだ。なんらかの目的があって道ができたのだろうか。それとも道があったから、そこに目的ができたのだろうか。恐らくは最初に道ができたのは、その先に何があるのか、もしかすると山のかなたに、自分を幸せにする何かがあるかもしれないと思い分け入ったのかもしれない。「山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う」である。そして「涙さしぐみ」その道を戻ったのだろう。その繰り返しが、いつしかケモノ道になり、目的をもって通ることができる道になったのかもしれない。

この地の片洞門は、そう思わせるようなものだった。人は、峡谷を上り下りし、岸壁のわずかな足場を利用して先に進み、そしていつしか、越後の里へ抜けたのだろう。出羽と越後が結ばれ、そこには経済活動が生まれ、その道の目的は拡大し、人は岸壁をもくり抜いた。この片洞門が完成してからは、出羽と越後を結ぶ唯一の交通路を利用するものは多くなり、驚くことに昭和初期まで、この道をバスやトラックが走ったという。今は新しく国道が整備され、トンネルもいくつか通され、この旧道は新緑や紅葉を楽しむ遊歩道として利用されているようだ。

今は車も走ることはなく、目的を持って通るものもなく、ただ人々は内なる「幸」を求めてこの道を歩き、峡谷の新緑や紅葉をゆったり愛でることができる。この日は、残念ながら紅葉にはまだ早いようで、峡谷は夏の香りを残していたが、至る所に厳しい冬を迎える自然の営みが見える。はるか先の山の頂の木々は僅かに色づいている。

ゆっくりと歩きながらそれでも、片洞門の先は、あの木々の先は、あの山の頂の先はと、限りなく歩を進めようとする欲求が湧いてくる。そのような人間の欲求が、この道を開いていったのだろうなどと考えた。