2013/10/04

 

歴史散策⇒小国城跡

昨日は宮城県から米沢、長井とまわり仕事を終えた。次の仕事は山形市だったが、大分の寄り道になるが、早朝に小国町の歴史散策を行なうことにして長井に宿をとった。小国は仕事のルートからは外れており、私にとっては未踏の地だった。

この日の早朝、新潟との県境にある赤芝峡で渓谷美を見ながら清涼な空気を胸いっぱい吸い込み、ついでに朝食のおにぎりを食した。その後町中に戻り、小国城跡をさがした。平城だったはずで、すでに遺構は残っていないかもしれないと思いながら、地元の方に尋ねたがわからない。途中森林組合の事務所が開いていたので尋ねたがやはり分からない。ところがたまたまそこに居合わせた小学生が、「学校が昔お城だったって聞いた」と教えてくれた。エライ!!。地元の大人は知らず、すでに伝承も切れてしまっているのかと多少落胆していたのが、俄然明るい気持ちになった(単純)。

教えてもらった小学校の校長先生に許可をいただいた。町中の平城は学校になっていることはままあり、時節柄不審者と間違われないように必ず許可をいただくことにしている。確かに、カメラをぶら下げ、校庭をうろついていれば、今の世の中では悲しいことだが「不審者」と思われても仕方がない。「不審者」と区別するためのプレートを首に下げ、校庭や校舎の陰まで歩き回ったが遺構らしきものは発見できなかった。

学校を後にして、こんなものかと思いながら、念のため周囲を歩いてみた。道路は枡形状になっており、確かに城の形跡はあるがやはり遺構らしきものは見当たらない。途中、学校の近くの家で尋ねたら、おじいちゃんが出てきて、どうやら土塁や堀跡があるらしい。しかしそれらは住宅地に紛れて分かりにくいということで、案内してくれるという。

屋敷地内の土塁、住宅のかげの堀跡、思いのほか城域は広く遺構は多く残っている。案内いただけなければ、とても分からなかっただろう。この地は越後と奥羽の境に近く、古い時代はダイナミックな歴史の動きがあったとは推測できるが、表立った歴史の舞台にはなっていないかもしれない。それぞれの遺構は、関連付けられているわけでもなく、多くの地元の方々に知られているわけでもなく、何気に申し訳なさそうに佇んでいた。

実際にはこの地にもあっただろう歴史のうねりを探し出せればいいなと思いながら後にした。