2013/08/20

 

歴史散策⇒満天姫廟津軽信牧廟

津軽二代藩主信牧と徳川が家康の養女として送り込んだ満天姫、そして石田三成の娘で側室の辰姫、こう書いただけで、すでに大きな物語が感じられ、史実として垣間見えることからだけでも、この三人の間の人間的な悲しみや苦しみが伝わってくるような感じがする。

小説「蟠龍雲に沖いる」では、信牧と辰姫についてはそれなりに書いたが、満天姫についてはストーリーの展開上、あまり描けなかった。満天姫は、信牧と辰姫の間を割くかのように、徳川から送り込まれた正室である。ここだけ見れば、満天姫は悪役になるがそうではなかった。

満天姫の輿入れにより信牧から遠ざけられた辰姫の悲しみは勿論深いものがあったろう。信牧は満天姫の輿入れの後も辰姫に心を寄せ、長子の信義をもうけた。それは当然の成り行きだったろうが、そのような信牧を見る満天姫もさぞや悲しかっただろう。

満天姫は、初めは福島正則の嫡子正之に輿入れし、すでに身ごもっていての津軽家への輿入れだった。満天姫も辰姫も、ともに悲しい運命の中にあり、信牧もこの二人の運命を理解しその悲しみに心を寄せ、満天姫も辰姫もその悲しみをある意味で共感しあったように私には思われる。

信牧は満天姫との間にも男子をもうけるが、辰姫との間の信義を嫡子とする。信義は石田三成の孫に当たるわけで、幕府に許されるはずもなく、そこには家康養女としての満天姫の強い協力がなければかなわなかっただろう。

さらに辰姫が若くして没すると、信義を自分の子の信英とともに養育し慈しんだようだ。この異母兄弟は、大変に仲が良かったようで、信義は満天姫を思ってだろう、支藩黒石藩を立てて信英を遇し、信英も兄の信義をよく支えたようだ。

このようなことから、満天姫は大変に心優しい女性だったと思う。辰姫に対する嫉妬ももちろんあっただろうが、二人の悲しみを共有できる強さもあったように思われる。

その満天姫と福島正之との間の子は、津軽の重臣の大道寺氏の養子となっていたが、成人すると改易された福島家の再興を計り動き始めた。この時期に津軽藩には移封の話などもあり、その立場は決して磐石ではなかった。津軽藩の先行きを心配した満天姫は、江戸に発とうとするわが子を毒殺する。これは津軽藩にとっては正しかったのだろうが、満天姫にとっては地獄の様な苦しみと悲しみだったはずだ。

この津軽信牧、満天姫廟を訪れる者は、是非、この夫妻の苦しみと悲しみの物語を知った上で手を合せて欲しいものだ。豪雨の後の木漏れ日の中の廟をカメラに収め、手を合わせた。