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※2013/06/の取材日記より

この日は、五所川原周辺をまわり弘前で日没を迎えた。この先は帰り道ではあるが、仙台ははるかに遠く、ゆるゆると途中を楽しみながら帰るつもりだった。この先は、大きく3つのルートを考えていた。一つは八甲田から十和田市に抜けるルート、十和田湖から奥入瀬を通るルート、十和田湖から八幡平市に抜けるルートだ。

弘前でゆっくりと夕食をとり、夜の道を十和田湖方向に走った。この時点ではまだルートを決めかねていた。東へ30kmほど走ったところの道の駅で休憩し、カーナビのマップで道を確認し、ルートを検討したが、ここまでの疲れでそのまま寝入ってしまった。

3時過ぎに目が覚めた。この時期の日の出は早く、4時半頃のはずだ。八甲田にはまだ距離があり、日の出には間に合わない。すぐさま国道102号線を十和田湖に向った。例によって行き当たりばったりだ。刻々と東の空が明るくなっていく。天気は晴れている。この日、十和田湖はどのような姿を見せてくれるのか、気持ちは急いていた。

山道に入り、じきに滝ノ沢峠についた。十和田湖はこの峠を下りればすぐのはずだが、すでに日の出の時間をまわっている。峠で車を停めて周りを見渡すと展望台がある。そこから日の出を撮れるかもしれないとカメラを抱えて展望台に走った。

展望台から十和田湖を見渡した。眼下に広がっているはずの十和田湖は見えず、一面の雲の湖があった。日の出の方向は山と木々のかげになっており、日の出そのものは見えないが、朝の日の光に赤く染まった雲は、激しく湧き上がっている。しばらく思考停止の状態になった。この日、十和田湖が私に見せてくれたのは、雲の十和田湖なのだ。周りには誰もいない。この光景を独り占めしているのだ。

旅を続けていると、時折、非日常の美しさを見ることがある。今回の旅では、十和田の雲の湖に出会うことができた。人々の多くは、このような非日常の美しさに出会ったとき、雲や風や水や日の光に、畏敬の念をいだき手を合わせたことと思う。日が上り、湧き上がる雲が穏やかに広がり始めたのを見届け、雲の湖に手を合わせ、雲の中の十和田湖に向かい峠を下りた。

当然のことに十和田湖は雲の中で、それでも幻想的な美しさに包まれていた。十和田湖では、濃霧の中、十和田神社などを訪れた。神社では、三湖伝説の一方の雄の、南祖坊伝説を伝える占場を訪れた。濃霧の中の占場の祠の急崖の下は、十和田湖の最深部にあたり、「主」が棲んでいるはずだが、現在は立ち入り禁止になっている。見えない湖面では、今まさに「主」が蠢いているかのような感覚に見舞われた。

早朝の十和田湖には、まだ観光客の姿はなく、駐車場でサンドイッチを食べながらルートをチェックし、発荷峠を通り八幡平方面へルートを取ることにした。

早朝の滝ノ沢峠では雲の湖を眺め、たった一人でその絶景を堪能した。雲の中の湖は、その南側の発荷峠でどのような姿を見せてくれるのか。雲の上では、日はすでに高く上っているはずだ。発荷峠では、滝ノ沢峠のときの逆光の美しさとは異なる、南からの順光の明るい風景が見られるはずだ。

雲の中を、スモールランプをつけ、かつての火口の内側の急坂を上ると、途中スッと霧が晴れた。雲の上に出たのだ。まもなく、発荷峠の駐車場と展望所が見えた。空は濃い青色に晴れ渡り、足下には雲の海が広がっている。駐車場に車を停める時間ももどかしく、カメラを持って車から走り出た。

十和田湖はやはり一面の雲の中にあった。しかし早朝の、荒々しく湧き上がるような雲ではなく、ゆったりとなだらかに、雪原のように広がっている。遠くにまだ雪の残った八甲田の山々が臨める。雲は展望所のすぐ下まできている。トンと足を下ろせば、そのまま渡って行けそうな錯覚さえおぼえるほどだ。

初老のご夫婦らしき方が車を降りて、展望所に来て「オーッ」と声を上げた。町中で生活しているものが、普段の生活の中で、声をあげるほどの光景に出会えることはまずない。都市に住む多くの者達は、便利さを追い求める代償として、山や雲や水の美しさへの感動を忘れ、そしてそれらに対する畏敬の念も失っていってるかもしれない。

十和田湖には、かなり以前、私が高校1年生の時に、「冒険旅行」と称して友人と訪れ、そのときにはこの発荷峠から徒歩で十和田湖に下った。そのときも矢張り今日の様な青天だったが、雲の湖ではなく、満々と水をたたえた十和田湖だった。この日立っているこの場所に立ち、友人と一緒に「オーッ」と感動の声を上げたことを鮮やかに思い出した。

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