2013/04/26

 

歴史散策⇒八甲田丸

善知鳥崎古戦場から青森市街地各所をまわり、この青函連絡船の八甲田丸を訪れた。青森市中心部には、古い時期の歴史や伝説は少ない。古くは善知鳥(うとう)村という漁村があっただけで、もしかすると地形的には陸奥湾に面する谷地のような地だったのかもしれない。

江戸時代に入って、津軽藩の商業港として開発され、明治に入ってからは県庁が置かれ、鉄道が敷かれたことで飛躍的に発展したのだろう。また東北本線、奥羽本線の終着点となり、北海道にわたる青函連絡船の発着場になったことは、青森市の歴史の中で、大きなウェイトを占めるものだ。

今は青函連絡船は、交通手段の多様化と利用者の減少とで廃止され、青函トンネルを通る新幹線が建設されている。かつては、青函連絡船の発着場付近には、雑然とした活気のある、それでいて一抹の悲哀を感じる風景があった。

上野発の夜行列車 おりた時から
青森駅は雪の中
北へ帰る人の群れは 誰も無口で
海鳴りだけをきいている
私もひとり連絡船に乗り
こごえそうな鴎見つめ泣いていました
ああ津軽海峡・冬景色

石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌詞の一節である。まことに名曲である。

今、この八甲田丸を中心とした地域は、観光の目玉として開発され、美しいベイブリッチが頭上を通り、この地は若者達のデートスポットにもなっているらしい。それはそれで結構なことだが、かつてこの地を訪れ、「津軽海峡冬景色」の歌詞にある風景を眺めたことのあるものとしては、やむを得ないとは思いながらも、その美しいがよそよそしいたたずまいに、寂しさに似た感慨をもった。

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