2013/04/25

 

歴史散策⇒旧三沢海軍航空隊

長慶天皇の伝説を訪ね、途中思いがけず義経北行伝説にも行き当たり、久しぶりの歴史散策は快調だ。六戸町からおいらせ町を抜けて、三沢に向った。

三沢は国道4号線から外れ、また八戸へのルートからもそれており、交通の要衝とは言いがたい地で、意識しなければ立ち寄ることのない地だ。寒冷地で、米の生産にも適していなかったのだろう、そのせいもあり歴史散策で訪れる箇所は少なく、小川原湖伝説以外には古いものは少ない。それでも三沢には、かつては旧海軍航空隊が置かれ、何枚か写真を撮りたいと思い三沢基地を訪れた。

途中、三沢に近づくにつれて、ジェット機の爆音が聞こえるようになっていた。現在の三沢基地は、米軍と自衛隊の共用基地になっており、北の空の防衛の要になっているはずだ。最近、あの北朝鮮が「火の海」にしてやると言っている地の一つだ。

実は、この三沢は、私の亡くなった父が終戦を迎えた地だった。この地には、当時さまざまな特攻隊が置かれ、多くの若者達が集められていた。父はその教官としてこの地にあったらしいが、この地の特攻隊は出撃する前に敗戦を迎えた。父の部隊の若者たちは憤激を抑えきれず、武装したまま上京をはかり、途中強制的に武装解除させられたと言う。父は、この当時について多くを語らなかったが、今思えばもっと多くのことを聞いておけば良かったと思っている。

町中を走ると、そのど真ん中に基地のゲートがあった。メインストリートがそのままゲートに突き当たっている。この三沢の町は、まさに三沢基地とともにあるのだろう。取材許可を得ているわけでもないので、中にはもちろん入れない。ゲートの写真を撮り、基地が見渡せるところを探して東に進んだ。

少し走ると、三沢空港の入り口がある。三沢は、民間機の空港にもなっているのだ。駐車場に車を入れて、屋上の送迎デッキに上がった。ちょうど民間機が離陸の為に滑走路に向うところだった。しかしその合間にも頻繁に戦闘機や軍用ヘリが飛び立っていく。北朝鮮によるミサイル威嚇の中で、送迎デッキからの眺めはまさに最前線だ。

憲法にある、「平和を愛する諸国民の公正と信義 に信頼し」の前提が夢物語である中で、場合によっては冷たい視線を浴びながらも基地から戦闘機が飛び立っていく。この基地が、一面の牧草地になることを願う反面、「公正と信義」を信頼できるとはとても思えない現実の中で、この基地のもたらす抑止力は頼もしいとも思える。

幸いなことに、基地周辺には、沖縄の基地周辺に見られるとげとげしい「基地反対」のような雰囲気は見られなかった。若い頃の父も、敗戦間際に死を覚悟している中で、この地で比較的穏やかな日々を送れたのかもしれないと思った。

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