2013/04/24

 

かつて、陸前高田を訪れたとき、今はない高田の松原を歩いた。すでに夕暮れが近く天気もよくなかったために、写真に収めることはできなかった。そのときは、その内来るときもあるだろうと考えた。それがあの大震災に襲われ跡形もない。

あのときは、高田の松原は未来永劫残るものだと言う思いがどこかにあった。形あるものはいつかは滅びる、という思いを立ち枯れた老木の前でこれまでも思うことは度々あった。しかし、この地の熱い思いの中で美しさを誇っていた数万本の松原が、一瞬の内に消え去るとは、私に限らず誰も思ってはいなかったろう。

高田の松原を歩いた後に、近くの「道の駅」で休んでいたとき、和太鼓を練習する音が聞こえた。それを見学させていただき、写真を撮り録音させていただいた。

あの日、遠くに絶え間ないサイレンの音を聴きながら、停電した部屋の中でラジオを聞き、陸前高田市が津波で壊滅状態であることを知った。福島の原発被害と共に、それは衝撃的だった。写真を撮り、録音させていただいた氷上太鼓のメンバーへの思いが胸の動機を激しくした。後日わかったことだが、このメンバーの何人かが波に飲まれ帰らぬ人となったという。

この一本松は、高田の松原の西端にあったもので、奇跡的に波に流されなかった一本だった。しかし塩水を被り、多くの地域の方々が蘇生への努力を行ったが蘇生することはなかった。松原がすべて流され、市街地の瓦礫の原の果てに、最後の力を振り絞り、凜として立ち、残された人々に希望を少しずつ分け与え、一本松は立往生した。その姿は、この地の方々の心に永遠に残るものだろう。

今、この地の復興を見守るモニュメントとしてその姿が保存復元処理され、同じ場所に元の姿をあらわした。その命は枯れたが、多くの方々が挿し木などでその命を繋いでいるらしい。いずれの日か、その奇跡の一本松の子孫は、各所で復興を見守り、またその足元に植えられていくだろう。

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