2012/11/04

 

歴史散策⇒藤崎城跡

土砂降りのもみじ山を後にして、黒石市内と田舎館村を数ヶ所周った。写真さえ撮れれば雨などは問題ではない。雨の中を藪こぎなどするものだから、ズボンはびしょぬれ、靴の中まで水がしみこみグチャグチャ。それでも、生来のズボラが幸いして?あまり気にならない。

田舎館城跡をまわった後は、西に走り藤崎町に向った。藤崎の地の最大の目的地は藤崎城跡である。藤崎城は、十三湊に進出する前の安東氏の本拠だったはずだ。

戦国期を乗り切り、近世まで残った一族として、安東氏は大変興味深い一族だ。安倍比羅夫、安倍貞任に始まる一族と伝えられ、十三湊に一大文化圏を築き、南部氏に攻められ蝦夷地に逃れ、さらに一族は秋田で大勢力を築き、秋田氏、生駒氏と姓を変えながら、大名家として明治まで存続した。波乱万丈の一族である。

津軽の地は、前九年の役や、平泉征討の後の残存勢力がそれぞれの地に土豪としてそれなりに残っていた地である。鎌倉期に入り、中央から地頭が入ってくると、かつての土豪たちは圧迫されていったのだろう。しかしその中で、安東氏は中央とは別の形で有為転変しながらも強大な力を付けて行く。

藤崎の八幡神社を探し、その近辺だろうと歩き回り標柱を探し当てた。何のことはない、国道339号線と7号線の交差点近くの分かりやすい場所にあった。標柱は、かつての土塁跡と思われる上にあり、誇らしげに「安東氏発祥の地」とあった。しかし遺構はこの土塁が残っているだけのようだ。周辺の地形に、堀跡の痕跡の様なものも見つけたがはっきりとはしない。

市街地の平城は、油断すればすぐに開発の波に飲み込まれてしまう。ましてこの城のように、領主がこの地を離れ、その後の領主も次々に代わっていったような場合はなおさらだろう。土塁だけでも残っているのは幸いとしなければならないのだろう。「安東氏発祥の地」として誇りを持ち、この土塁だけでも後世に長く残ってもらいたいものだと思った。

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