2012/11/03

 

歴史散策⇒盛美園

各地方には、その地の地主の屋敷や庭園が今も残っており、この盛美園もその一つである。私の住む宮城県では、齋理屋敷や齋善屋敷、前に訪れた金木町の斜陽館もそうだ。

かつて、GHQからの命令で農地解放が行われ、それは民主主義による正義であり、地主制度は「悪」であったとする考えが一般的になっている。しかしそうなのだろうか。

封建制度の中で、地主達の中にはあくどい事を行ったものもいただろう。しかし地主屋敷や庭園を眺め、その事跡を調べると、地域の産業文化を振興し、また地域の雇用を支え、地域経済の中心として存在していた姿が見えてくる。その地域の富の象徴が各地の地主屋敷や庭園なのだと思う。

庭園は、梵珠山や岩木山を借景として築かれたというが、この日は残念なことに小雨交じりの曇り空で、それを見ることは出来なかった。晴れていれば、岩木山までの広い空間が広がるのだろう。しかしこの庭園には、他には余り見られない建物があった。

隠居所として建てられたという洋風の建物だ。ミスマッチにも思えるのだが、青い屋根のその建物は、この庭園にミスマッチどころか上品な趣すら与えている。またこの盛美園には驚くものがあった。

この日は、運が良いことに、その「驚くもの」を見ることができた。それは黄金と螺鈿と蒔絵で装飾された仏間だった。私はこれ以上のものは、金色堂の内陣以外には見たことがない。特に左右の壁面に大きく施された蒔絵は見事で、国宝級のものと思われた。

100年少し前には、日本は地方にもこのような文化があり、また経済もその地域地域で盛んに回っていたのだ。かなり山深い地に行っても、山神様の祭りなどの写真には、驚くほど多くの人々が写っている。かつての地方の富はどこに行ってしまったのか、また当時と比べて、今の世の中は、果たして良くなったと言えるのか、次の目的地に向う車の中で考えてしまった。

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