2012/07/10

 

歴史散策⇒霊場恐山

むつ市の市街地の斗南藩関連の箇所や田名部館跡などをまわり、この日のメインとして考えていた霊場恐山に向った。市街地を過ぎるとすぐにそこは恐山の参道で、各所に石の里程標と地蔵が祀ってある。朝には薄曇の天気だったが、昼近くからは青空が見えていた。

恐山には「地獄」があり、また「極楽」も臨むことができるという。雨のような天候では「地獄」の様相のほうが際立つだろうが、この天気ならば「極楽」の様相の方が勝って見えるかもしれない。私は無信仰ではあるが、死者の魂が集まるという恐山にはなにがしかの恐れがあった。

宗教のその始まりには、「死」が深く関わっていることは間違いないだろう。まだ自分の死に対しての思いは湧いては来ないが、父や身近な人たちの死には多くの思いがある。また今回の大震災で亡くなった多くの方々に対しても、被災地に行けば、いまだに自然と手を合わせる。「極楽」が、より良く見えるのではという思いから、この時間の晴れ間は嬉しかった。

途中、「恐山冷水」「鬼石」で車を停め写真に収め手を合わせた。かつては、恐山を訪れる方々は、道の脇の里程標を見ながら、各所の地蔵に一つ一つ手を合わせながら、死んだ父母やあるいは子供への思いをつのらせながら山道を登ったのだろう。

そんなことを考えながら車を走らせていると、ふっと視界が開け、宇曽利湖が現れた。道の先の湖東岸は、白い岩肌が続き、硫黄の匂いが風に運ばれてきた。この霊場恐山は、カルデラ湖の宇曽利湖を中心にした火山なのだ。駐車場に車を停め、総門をくぐると、そこには荒涼とした「地獄」が広がる。「地獄」にはそれぞれ名前が付けられており、各所に地蔵が祀られている。順路に従ってそれらの地獄を巡ると、やがて極楽を表す白砂の宇曽利湖岸に抜ける。

荒々しい「地獄」から湖岸に出ると、白砂の先に青く宇曽利湖が広がり、さらにその先には外輪山の釜臥山が裾を広げている。湖岸には、子供の供養の為か、風車が立てられ小さな音をたてて羽を回していた。無信仰の私ではあるが、もちろん死者を悼む気持ちは持っている。釜臥山に向かい手を合わせ、震災で亡くなった多くの方々の冥福を祈った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です