2012/07/06

 

庭月観音の別当さんから庭月館の場所を教えていただいてその地に向った。庭月観音堂と同じ、鮭川右岸の台地上にあるようで、さほどの距離ではないはずだ。

車をゆるゆると走らせると、「小十郎館」の標識を見つけた。しかしどうもこれは違うようだ。館跡は畑になっており、見渡したところ遺構らしいものは見当たらない。昨夜の雨で足場は悪く、藪の中に足を踏み入れるには覚悟が必要なようで早々に撤退した。

さらに道を北に走らせるとじきの所に、「庭月楯」の説明板があり、畑地の先にこんもりとした林があり、そこが館跡らしい。説明板によると、最後の館主の庭月広綱の古碑もあるらしい。「小十郎館」は、この庭月楯の郭の一つなのかもしれない。

小十郎館と同様足場は最悪だ。しかし遺構の状態もわからずに撤退はできない、とにかく偵察前進した。畑地は何の作物の為の物か、湿地と同様でズブズブと足をとられる。畦道もさほど変わらない。更に進むと、小さな水路が縦横に走り、草が生い茂り何がなにやらわからない。それでも草をなぎ倒し、それを足場にして少しずつ前進した。

「庭月楯」の白い標柱が見え、そこまでなんとか進むと、そこには広く深い空堀があった。傾斜もかなりきつい見事な空堀だ。見回しても土橋のようなものは見当たらない。恐らくは木橋がかかっていたのだろう。この空堀を突破するのはそう簡単ではなさそうだ。ここまでの畑地でさえぬかるみに難儀している。急な斜面は当然すべるだろうし、堀底はさらにぬかることが考えられる。

空堀を上から覗き込み進入ルートをさがした。足場になりそうな木の切り株や草の根や倒木をたよりに斜面を少しずつ下りた。堀底はずぶずぶのぬかるみで、倒木を慎重にわたり急斜面にはりつき、ちぎれそうなシダの茎の根元を掴みながら、体を少しずつずりあげていった。

林の中の内郭は、足場は良くはないが畑地ほどではない。いつものように周囲をぐるりとまわった。東側は鮭川の断崖で、北側にはその支流がありやはり断崖となっている。あの空堀は、西側と南側で台地をするどく切り取っていた。

鮭川を臨む北東隅に、小さな古碑があった。誰がいつ建てたのか、「太守公広綱塔」とあり、最上氏の改易とともにこの地を去った庭月氏の無念と誇りが刻まれているように感じた。

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