2012/03/25

 

あの震災から一年が過ぎた。昨年の4月には、夜中にガソリンスタンドに並び車に給油し、朝一番にスーパーマーケットに並び、慰問品を購入し、南三陸町の知人のもとに向かった。

あのとき、登米市から南三陸町に抜ける国道386号線の境の峠を越えると、じきに瓦礫の荒野が広がっていた。人々は、水も電気もない中、春とは名のみの寒さの中で、沢の水を汲み、山の雑木を焚き暖をとり、瓦礫の中の風呂桶を使い入浴施設をつくり、たくましく暮らしていた。

その後も、仕事の途中この町を何度か通っているが、国道沿いにわずかに仮設店舗が2、3軒出来ているだけだ。私の知人も含め、住民の多くは町の復興のため動き回っているようだが、肝心の行政の動きがあまりに遅く、かつての町は、瓦礫は一応取り除かれただけで、一面の荒野であることには変わりがない。国が言う「力強い復興の槌音」などどこにもない。あるのは劣悪な環境の中で、懸命にがんばっている個々人の姿だけである。

※写真:上段は震災1ヵ月後、下段は現在

この町を通るたびに手を合わせるところがある。それは高台にあった特養老人ホーム跡と、町の防災センター跡である。どちらも、チリ地震津波級の津波であればしのげたはずのものだが、今度の震災では津波に飲み込まれ多くの犠牲者を出した。

一年前には、この特養老人ホームの前の、波を被った桜が、決して美しいとは言いがたい花を、それでも懸命に咲かせていた。この春には、この地にどのような花が咲くのか、希望にあふれたものであることを願うばかりだ。

この日はあらためてこの地を訪れ、一面に広がる荒野に向かい手を合わせた。