仕事が山積している中、普段の生活に倦み、放浪への誘惑が頭を持ち上げていた。しかし気ままな放浪に出かける時間はなかった。折しも桜の季節、やおら思い立ち夜中に二本松に車を走らせた。二本松城で日の出を迎えたいと思った。

その日は新月だった。夜中に城址公園の駐車場に車を止め、空の状況を見るため車外に出ると、その日新月で、桜はほぼ満開のようだ。周辺の桜に弱い光を当て、新月と桜をコラボさせ写真を撮り、夜明けまでのわずかな時間仮眠した。

目が覚めると辺りはわずかに明るくなっている。すぐさま城山の裏手の搦手口に車をまわした。二本松城は近世に丹羽氏によって改築されたが、大手口の箕輪門や三の丸、二の丸などは近世に造られたもので、それはそれで好きなのだが、この城でもっとも好きなのは、荒々しい中世の息吹を色濃く残す、搦手口から本丸にかけての様相だった。

この薄明りの搦手口は、一段と荒々しさを感じさせ、その周囲の満開の桜は怪しく白く光っている。刻々と明るくなっていく中で、三脚を据えるのももどかしく搦手口周りを撮影し、すぐに本丸に向かった。日の出や夕陽の撮影では、数分、場合によっては数秒のタイミングのずれで、絶景を撮り落としてしまう。いつものことながら気がせいた。

なんとか日の出る前に本丸に着き、あわただしく撮影ポイントを探す。本来ならば前もって撮影ポイントを探しておくのが良いのだろうが、それでも自然が見せてくれる思いがけない一瞬に感動を覚えることも多くあり、素人技のいい加減さを良しともしていた。しかしそれだけに忙しい。誰もいない本丸石垣の周りを駆け回り、駆け上がり、この日自然が見せてくれた絶景をカメラに収めた。

日が昇り、辺りもすっかり明るくなり、改めて本丸石垣上に立ち城下を眺めた。この地は戊辰戦争の時に戦場となった地だ。二本松勢の主力は須賀川方面に出ており、二本松を守るのは少年と老人たちだった。二本松少年隊は壇の口で奮戦し、その多くは討死し、負傷し、あるものは会津若松に退去しさらに会津戦争を戦った。この本丸では、少年たちと城を守れなかった藩の重役が、壮絶な切腹をして果てた。

搦手門に戻り明るい日差しの中で桜の写真を撮り、ふと目を上げると、桜の先にみちのくの原風景ともいうべき光景が広がり、その先に安達太良山が浮かんでいた。

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